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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)12154号 判決 1997年1月22日

原告

加藤敦

被告

戸田印刷株式会社

主文

一  被告らは、各自、原告に対し、金四六〇万三三九〇円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを四分し、その三を原告の負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告に対し、金二九七九万五九七二円及びこれに対する昭和六〇年一〇月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件事故の発生(当事者間に争いがない)

1  事故日時 昭和六〇年一〇月一九日午後四時三二分ころ

2  事故現場 東京都千代田区麹町六丁目二番地先交差点(以下「本件交差点」という。)

3  被告車 普通乗用自動車

運転者 被告戸田幹男(以下「被告戸田」という。)

所有者 被告戸田印刷株式会社(以下「被告会社」という。)

4  事故態様 被告戸田が、本件交差点を右折するため、本件交差点に進入しようとしたところ、本件交差点手前の横断歩道(以下「本件横断歩道」という。)上を右方から左方に横断してきた原告と衝突した。

二  原告の主張

1  責任原因

(一) 被告戸田

被告戸田は、信号機の表示に従い、かつ、前方を注視して本件交差点を進行すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つて被告車を進行させた過失によつて本件事故を起こしたのであるから、民法七〇九条により損害を賠償する責任を負う。

(二) 被告会社

被告会社は、被告車を所有して、運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

2  原告の後遺障害

原告は、本件事故によつて頭部外傷、左上腕骨外科頚骨折、右下腿打撲の傷害を負い、治療の結果、後遺障害等級九級に該当する外傷性てんかん等の後遺障害が残存した。

三  被告らの主張等

1  責任原因について

本件事故は、被告戸田が対面信号が青色を表示しているので本件交差点に進入しようとしたところ、原告が歩行者用信号機が赤色を表示しているのを無視して本件横断歩道を横断した結果、被告車が原告と衝突したものであり、被告戸田には過失がなく、被告会社は免責されるべきである。

仮にそうでないとしても、右のような本件事故の態様によれば、原告には信号無視の過失が認められるので、その損害から八〇パーセントを過失相殺すべきである。

2  原告の後遺障害について

原告にはてんかん症状は認められない。

仮にてんかん症状が認められるとしても、原告のてんかん症状は本件事故によつて発生した外傷性てんかんではないので、本件事故とは因果関係が認められない。

四  原告の反論

本件事故の態様は否認する。原告は、本件横断歩道を青信号に従つて横断中、被告戸田が対面信号が赤色を表示しているのを無視して進行した結果、被告車が原告と衝突したものであり、免責は認められるべきでないのみならず、過失相殺も認められるべきではない。

第三争点に対する判断

一  被告らの責任及び過失相殺について

1  甲一ないし七、一八ないし二二、原告、原告法定代理人加藤永子(以下「永子」ともいう。)及び被告戸田各本人尋問の結果によれば、本件事故現場の状況は以下のとおりと認められる(当事者間に概ね争いがない)。

本件現場は、被告が進行してきた道路(以下「被告路」という。)が、中央分離帯で区分され、片側車線の幅員が一二・三メートルの通称新宿通りと交差する信号機によつて交通整理の行われている交差点手前の横断歩道上である。被告路は、幅員六・七メートルで二車線のアスフアルトで舗装された道路であり、被告車が進行してきた右側車線は本件交差点手前付近では直進車と右折車の専用車線となつている。本件事故現場付近は市街地で、被告路の右側部分には公園が設置されている。本件事故現場付近の被告路は直線で、視界は良好であり、被告路には一方通行と毎時二〇キロメートルの速度規制が行われている。本件横断歩道には歩行者用信号機が設置されており、横断者の横断を規制している。本件事故当時の新宿通りの交通は頻繁であるが、被告路の交通は閑散としており、横断者用の信号機が赤色を表示している際にも、信号機の表示を無視して本件横断歩道上を横断する歩行者が認められる。本件交差点の被告路の車両を規制する信号機(以下「甲信号」という。)は青色が三八秒間表示され、その後黄色が四秒間表示された後、全赤表示が二秒間あり、その後七四秒間赤色が表示され、その後再度全赤が二秒間表示される。一方、原告が横断した横断歩道の歩行者を規制する信号機(以下「乙信号機」という。)は、甲信号機と連動しており、甲信号機の全赤表示が終了すると同時に青色表示となる。

2(一)  ところで、本件事故の態様については、「本件横断歩道に至り、歩行者用信号機が赤色を表示していたので、歩道上で信号機の表示が変わるのを待つていたところ、歩行者用信号機が青色に変わつたので、すぐに小走りで本件横断歩道を横断し始めたところ、被告戸田が対面信号が赤色を表示しているのを無視して進行した結果、被告車と原告が衝突した」旨の原告らの供述(乙九、一八、三〇、原告及び原告法定代理人加藤永子各本人尋問の結果)と「被告戸田が対面信号が青色を表示しているので本件交差点に進入しようとしたところ、原告が歩行者用信号機が赤色を表示しているのを無視して本件横断歩道を横断した結果、被告車が原告と衝突した。」旨の被告戸田の供述(甲一ないし七、一八ないし二二、被告戸田本人尋問の結果)という相反する証拠がある。

(二)(1)  被告戸田は、実況見分調書(甲一八)では<2>の地点(以下では、特に指摘しない限り、記号は甲一八の記載である。)で青信号を確認したと指示しているところ、本人尋問においては、原告に衝突したときは対面信号機は青色を表示していたと供述している。しかしながら、被告戸田は、<4>の地点で右前方の歩道上に原告を発見し、その後、危険を感じて<5>の地点でブレーキをかけたと右前方の歩道上にいた原告の歩行状況を詳細に供述しているところ、被告戸田は、本件交差点は右側が公園の樹木で見通しが悪いので徐行するようにしており、時速一五キロメートルに減速して進行したと供述していることも考えあわせると、被告戸田は、衝突直前である本件横断歩道付近では右側を注視していたと認めるのが自然であり、衝突する瞬間まで三〇メートル程度前方に位置する甲信号だけを注視して青信号であることを確認したとは認めがたい。したがつて、原告に衝突したときは甲信号は青色を表示していたとの右供述は採用できず、被告戸田の供述をしても、被告戸田が甲信号の青色表示を確認した直後に甲信号の表示が黄色に変わつた可能性が否定できない。

ところで<2>の地点から<4>の地点までは一一・九メートルであるところ、被告戸田は<2>の地点で甲信号の青色を確認してから速度を時速一五キロメートル程度に減速して進行したと供述しており、時速一五キロメートルは秒速約四・一六七メートルであるから被告車は<2>の地点から<4>の地点まで進行するのに約二・八六秒を要したことになる。<2>、<4>、<5>の地点は被告戸田が記憶によつて指示したに過ぎないものであり不正確であることはその指示の性格上否定し難く、実際に被告戸田が青信号を確認した地点、原告を発見した地点、ブレーキをかけた地点が実況見分調書の指示した地点よりも本件横断歩道から離れた地点であり、被告車が<2>の地点から<4>の地点や<5>の地点まで進行するのにより時間を要した可能性が否定できない。そうすると、甲信号が黄色に変わり四秒、全赤二秒の合計六秒を経た後、乙信号が青色になることに鑑みると、被告戸田の供述から見ても、本件事故発生時の甲信号の表示が赤色であつた可能性は否定しきれない。なお、原告は、被告車の速度は被告戸田が供述する時速一五キロメートルの低速ではなく、少なくとも時速約三五キロメートルを超えた高速であつたと主張する。<4>の地点から<7>の地点まで八・一五メートルあり、その間に原告は三メートル進行している。被告車が時速一五キロメートルとすると原告は時速約五・五キロメートルで進行したことになり、被告車がブレーキの効果が出て減速しながら進行していることを考えると、原告の速度は時速約五・五キロメートルよりも若干高速であつたと推測され、被告戸田の供述には格別の不自然さは認められない。したがつて、被告車の速度は時速約一五キロメートルと認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

他方、原告は、歩行者用の信号機が赤色を表示していたので歩道に立つて信号表示が変わるのを待つていたところ、青色に変わつたので小走りで横断を始めた途端に、左方から進行してきた被告車と衝突したと供述しているが、右供述から認められる事故態様は、被告戸田の供述と矛盾するとはいえない。

(2) 被告戸田は、<4>の地点で<ア>の地点に横断歩道を渡るため駆け足で走つてくる原告を発見し、<5>の地点で急ブレーキを踏んだと供述しているところ、被告戸田が原告を発見した状況が右の様なものであるなら、通常は<4>の地点で危険を感じ急ブレーキを踏むはずであり、被告戸田の供述はいささか不自然であり、真に<4>の地点で原告を発見したか疑問が残らざるをえない。なお原告及び被告は、被告戸田は<4>の地点でブレーキをかけたが空走し、<5>の地点でブレーキが利き始めたことを前提に検討しているが、被告戸田は本人尋問においてもそのような供述は行つておらず、単に<5>の地点で急ブレーキをかけたと供述しているに過ぎない。したがつて、被告戸田の供述の評価としては、被告戸田は、<4>の地点で原告を発見したが、その後漫然と被告車を進行させ、<5>の地点で危険を感じて急ブレーキをかけたが、被告車を空走させた後ブレーキが利き、<7>の地点に被告車を停止させたと認めるのが相当である。

(3) 被告戸田は、<ア>の地点から横断歩道に走つてきた原告と<×>地点で衝突したと供述しているところ、<ア>の地点は本件横断歩道のほぼ中央付近なのに対し、<×>地点は右端付近であるから、被告戸田の供述では、原告は衝突地点まで右斜め前方に走り、本件横断歩道の中央付近で本件横断歩道から新宿通りに進出する方向に走つていつたことになるが、かかる原告の横断態様もいささか不自然であり、被告戸田の供述の信用性を損なうと言わざるをえない。

(4) 被告戸田は、実況見分調書では原告は<ウ>の地点に転倒していたと指示しているのに対し、本人尋問では実況見分調書と異なり<ウ>の地点に立つていたと供述している。原告は本人尋問において転倒しその場に立つた旨供述しているので、<ウ>の地点は原告が被告車に跳ね飛ばされて転倒した地点と認められる。ところで被告戸田は、原告は<×>の地点で被告車の前部に衝突したと供述しているが、<ウ>の地点は<×>の地点の被告車の進行方向ほぼ右側約一・七メートルの地点であるから、被告戸田の供述では原告は被告車と衝突後ほぼ右側に跳ね飛ばされたことになる。他方、被告戸田の供述では、やや右側とは言え、原告は被告車の前部中央付近に衝突したのであるから、通常は、ほぼ右側に跳ね飛ばされることはなく、被告車の進路前方に跳ね飛ばされると認められ、被告戸田の供述では、衝突後の原告の跳ね飛ばされた方向が不自然と言わざるをえない。

(5) 本人尋問期日において、被告戸田は、事故後に原告を見舞いに行つた際、原告が青信号に従つて横断した旨被告戸田に告げているにもかかわらず、被告戸田はこれに対して何ら反論していないと供述しているが、反論しなかつたのは水かけ論になるという理由だけを上げている。しかしながら、水かけ論になるからという理由だけで、六歳の子供である原告本人に対してはともかく、親である永子らに対しても何らの反論や説明をしていないのは、自己が青信号で進入したと主張する者の態度としてはいささか不自然である。被告戸田は、衝突時点の信号の表示を確認していなかつたため、横断者用信号機の表示が青だつたとの原告の話に反論できなかつたと考える方が自然であり、原告が青信号に従つて横断した旨の原告の発言を容認したものと認めても不合理ではない。

(三)  他方、原告の供述には格別の不合理な点は見受けられない。原告は、横断者の信号が赤で立つて待つており、信号が青に変わつた直後に小走りで飛び出したと供述しているが、信号が青に変わつた直後に横断を開始した途端に被告車と衝突したのであるから、原告が青信号に従つて横断していたとしても、原告の外に横断者がいなかつたという点は格別に不自然なものではない。他方、本件に限らず、車両は、対面信号機が赤色に変わつた直後に無理をして交差点内に進入することも十分考えられるので、原告の供述の信用性に疑いを生じさせるものではない。

(四)  以上検討した結果によれば、原告は、明確に乙信号が青色になつてから本件横断歩道を渡り始めたと供述しており、その供述内容には、格別、不自然な点が認められないのに対して、被告戸田の供述は明確に虚偽であるとか、一見極めて不合理というようなものではないものの、いささか不自然な部分が散見される上、その供述内容も、本件事故発生時に明確に甲信号が青色を表示していたというものではなく、赤色に変わつて進入した可能性を否定しきれない内容であることを考えれると、原告の供述と被告戸田の供述を対比した場合、原告の供述の方が証拠価値が高いと認められる。したがつて、原告の供述は採用できるのに対し、被告戸田の供述中、原告の供述と矛盾する本件事故時の対面信号機の表示が青色であつたとの供述部分は採用しない。

3  以上によれば、本件事故は、原告が、本件横断歩道に至り、歩行者用信号機が赤色を表示していたので、歩道上で信号機の表示が変わるのを待つていたところ、歩行者用信号機が青色に変わつた途端に小走りで本件横断歩道を横断し始めたところ、被告戸田が対面信号が赤色を表示しているにもかかわらず直進して本件横断歩道に進入した結果、被告車が原告に衝突したものであると認められる(争いのない事実、甲一ないし七、一八ないし二二、乙九、一八、三〇、原告、原告法定代理人加藤永子及び被告戸田各本人尋問の結果、弁論の全趣旨)。したがつて、被告戸田に信号遵守義務違反の過失があることは明らかであるので、被告戸田に民法七〇九条の、被告会社に自動車損害賠償保障法三条の責任がそれぞれ認められる。そして、右のような本件事故の態様に鑑みると、原告に過失は認め難く、本件では過失相殺は認められない。

二  原告の後遺障害の残存の有無及び程度について

1  てんかん症状について

(一) 甲八、九、一一、二三ないし四三、四五、五〇、乙一ないし六、九、一〇、一二ないし三〇、鑑定嘱託の結果、原告本人及び原告法定代理人加藤永子各尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故によつて受傷した際、一瞬意識を失つたが、すぐに意識を回復して立ち上がり、間もなく、救急車で東京警察病院(以下「警察病院」という。)に搬送され、同病院で治療を受けた。その際、原告及び永子は、治療に当たつた医師に対し、事故の際には、意識消失、吐き気、嘔吐、健忘症は認められなかつた旨告げた。また医師の診察の結果によつても、原告の意識は清明で、瞳孔は左右対称であり、対光反射、外眼筋は正常で、吐き気、嘔吐、健忘症は認められなかつた。さらに頭部についてX線検査を実施した結果、骨折は認められず、皮下血腫も認められなかつたため、原告の傷害は頭部打撲、左上腕骨外科頚骨折、右下腿打撲と診断され、湿布薬等の投与を受けて帰宅した。

原告は、警察病院で治療を受けた後、自宅で療養していたが、頭痛を訴えたため、昭和六〇年一〇月二一日に慶應義塾大学病院(以下「慶応病院」という。)で診察を受けたが、けいれん等はなく、さらに脳外科でCTスキヤンで検査を受けたものの、検査の結果は正常であり、神経学的に特記すべき事由はないと診断された。

さらに原告は、昭和六〇年一〇月二三日に丘整形外科病院(以下「丘整形」という。)に通院したが、初診時の症状としては、意識障害や出血はなく、頭蓋骨骨折も認められなかつた。また、慶応病院で頭部をCT検査されたが、理学所見として特に問題は認められなかつたと診断された。原告は、同日から丘整形に入院し、安静にし、左肩にデゾー包帯による湿布がなされるなど、右上腕の骨折部の治療が施術された。原告は、右入院中の同年一一月二日に、頭蓋骨X線検査の結果でも異常はなく、特記すべき所見は認められないと診断された。また原告は、脳外科でも診察を受けたが、同日付けで、脳波検査の結果、基礎波は九パーセントないし一〇パーセントが正常波で右部に優位があり、癲癇波なし、偏位なし、過呼吸刺激で大徐波群なしと診断されたが、治療を担当した医師の印象は、年齢を考慮すると正常範囲であり、本件事故による外傷との相関性は判断できないと診断した。丘整形に入院中には、原告にはけいれん発作などは認められず、原告は同年一一月七日に丘整形を軽快退院し、翌八日で丘整形での治療は軽快終了した。

また、原告は同年一一月九日に警察病院に通院したが、その際、丘整形に入院して脳波の検査を受けたが、正常と言われたと医師に話したほか、頭部に関して特に異常を訴えることはなかつたし、診察の際にも異常な所見は認められず、左肩の骨折部に関する治療だけを受けた。さらに原告は、同年一二月一四日にも同病院に通院したが、異常はなく、同日で同病院における治療は終了した。

(2) 原告は、丘整形を退院後、保育所に通学していたが、同年一二月二三日に再度慶応病院で脳波検査を受けたところ、脳波上異常が認められるが、臨床的には問題がないと診断された。その後、原告は、慶応病院には通院していなかつたところ、昭和六一年六月七日に通院したが、その際、前回の診察時である昭和六〇年一二月二七日から今回の診察までの間にけいれんは認められず、一度頭痛があつたと説明した。更に同年七月五日に同病院で診察を受けたが、けいれん性の焦点異常が認められ、同月一二日の診察においては、原告は、今までけいれんは認められないが、夜間手足がぴくつとすることがあり、便失禁が認められると訴えたため、同日CT検査を再度受診したが、異常は認められなかつた。その後、原告は、慶応病院での同年一一月八日の診断の際に、けいれんが一、二度認められたと訴え、またその後、昭和六二年一月に一度けいれんと意識消失が認められた。

原告の治療を担当した慶応病院の医師は、原告のてんかん症状と本件事故との関連について、昭和六二年七月下旬ころ、原告のてんかん症状と外傷との関連は不明だが否定的であると診断している。

(3) 原告は、本件事故の前の昭和六〇年五月二二日に前頭部を鉄棒に衝突させ、右前頭部に腫脹を生じる傷害を負い、慶応病院で治療を受けたが、その際、診療時の意識は清明で、瞳孔等に異常はなく、運動麻痺や病的反射は認められず、X線検査の結果でも頭蓋骨の骨折は認められなかつた。

(4) 鑑定人林成之は、原告のてんかん症状について、

カルテや検査結果、原告には、昭和六〇年一二月二三日の慶応病院での脳波検査の結果、スパイク鋭波が認められ、その後脳波検査でもスパイク波の異常が認められ、鑑定嘱託の際の脳波検査では、催眠状態の脳波所見は、脳波マツピングの精密検査の結果は側頭部、中脳梁部、前頭葉には異常所見は認められないが三分間過呼吸負荷時のスパイク波の異常波が認められるが増幅は認められないこと、MRI検査の結果、原告の脳には、右前頭葉と側頭葉より一部外包への部位に脳浮腫状の異常所見が認められること、右大脳半球前頭部から側頭葉先端にかけて、白質と灰白質ならびに灰白質を中心に右前頭葉にハイシグナルな異常所見を認めること、音刺激は左右に差を認めない、光刺激は異常は認められないことを認定し、原告のけいれん発作は、てんかん症状と関連があり、原告にはてんかん症状が認められるとした上、右てんかん症状と本件事故との関連について、

ア 外傷性のてんかんを発症するためには脳組織にけんれんを来す原因となる傷が付くことが大前提となるが、軽度の頭部外傷で脳に傷が生じるためには頭蓋骨が薄く、受傷時に頭蓋骨が歪んで、その歪みや変形からの戻りで歪みが付く頭部外傷機転によるものがほとんどであり、その条件を満たすのは乳児期の頭部外傷に限られているところ、受傷時六歳であつた原告の場合、受傷時に瞬間意識が分からなくなる程度の意識障害では、頭部外傷機転で脳に傷が付くことは考えがたいこと、さらに、外傷後のけいれん発作には、受傷後一週間以内に発生する早期外傷性てんかんと一週間以後に発生する遅発性の外傷性てんかんがあるが、原告の場合は、受傷より二週間近く経過して発症していることから遅発性てんかんと診断されるが、遅発性てんかんは、原告のような一過性の意識障害という軽度の外傷では発生せず、脳損傷を伴う穿通性脳損傷、頭蓋内血腫、陥没骨折などによる直接脳損傷を起こす重傷例に多く認められ、ひどい意識障害を伴わなくても遅発性てんかんを発症する例が一、二パーセント認められるとしても、原告のてんかん症状と本件事故の関連性は低いと認められること

イ MRIの異常所見は、受傷時、脳が頭蓋腔で回転性移動を起こして傷害され易い部位に一致していることから、外傷に伴う異常の可能性も否定できないが、MRI所見は、白質と灰白質との繋がりが少なく、受傷を受けやすい脳表には余り変化が認められないこと、頭蓋占拠性病変の所見を示さず、浮腫像は白質を中心とした所見であること、また、MRIの異常所見が外傷によるものだとすると、鑑定時の時期的経過から見て外傷後遺症に見られる退縮像となつていなければならないのに、鑑定時の検査においては脳萎縮像の所見は見られないなど、浮腫像の所見や外傷の程度から見て外傷性てんかんとは判断しがたいこと、しかも、受傷数年後も脳浮腫を中心とした異常所見が、外傷で継続することはなく、原告の脳浮腫を中心とした異常所見は、良性の脳腫瘍など外傷以外の疾患の疑いが強いこと

ウ 脳波異常は、外傷後出現していると認められるので、外傷に伴う異常の可能性も否定できないものの、脳波マツピングの精密検査の結果によつても、外傷によつて脳が損傷され易い部位に異常脳波が集中しているとは認められず、外傷との関連が不明であること

エ 左手から右手への利き手の変化については、MRI上の異常所見部分と一致しており、脳の機能変化によることは明らかであるが、外傷との可能性は、経過から見て極めて低いこと

などの理由から、原告のてんかん症状と本件事故との間に因果関係は認められないと鑑定している。

(二) 以上の事実によれば、原告にてんかん症状が生じていることは認められる。

しかしながら、てんかんが外傷が原因で生じるためには外傷によつて脳損傷が生じることが必要であるところ、右認定の事実によれば、本件事故によつて強度の衝撃が原告の頭部に加えられたとは認められず、事故直後の意識障害も一過性の軽微なものであり、事故直後のX線検査やCT検査でも、原告の脳に異常所見は認められなかつたことから見ても、本件事故によつて、原告にてんかん症状の発症の原因となるような頭蓋骨骨折や脳損傷が生じたとは認められないこと、原告は、本件事故後二週間丘整形で入院治療を受けているが、その間も原告には、てんかんの症状と認められるけいれん発作や脳波異常等は認められず、原告は丘整形を軽快退院し、その後さらに一か月後に至つた本件事故から約二か月を経た昭和六〇年一二月に至つて初めててんかん様の症状が生じたものであるが、これが本件事故に基づく外傷性のてんかんであるとすると遅発性てんかんであることになるところ、遅発性てんかんは、原告が本件事故によつて負つたような一過性の意識障害という軽度の外傷では生じず、脳損傷を伴う穿通性脳損傷、頭蓋内血腫、陥没骨折などによる直接脳損傷を起こす重傷例に多く、前記のとおり原告は本件事故によつて脳損傷を起こしたとは認められないので、原告のてんかん症状が外傷性の遅発性てんかんとは認めがたいこと、てんかんの原因となる脳損傷が外傷によるものだとすると、鑑定時の時期的経過から見て、損傷部位は外傷後遺症に見られる退縮像となつてるはずであるが、鑑定時の検査においては原告には脳浮腫の異常所見は認められるものの脳萎縮像の所見は見られないこと、原告には本件事故から数年を経た鑑定時においても、脳浮腫が認められるが、外傷で生じた脳浮腫が、受傷数年後も継続することはなく、原告の脳浮腫を中心とした異常所見は、良性の脳腫瘍など外傷以外の疾患の疑いが強いこと、原告のてんかん症状と本件事故の因果関係については、林鑑定人がその因果関係が不明と鑑定しているのみならず、原告の治療を行つていた医師も、原告のてんかん症状が事故による外傷性のものであることには否定的であつたことが認められ、これらの事実を総合すれば、原告のてんかん症状と本件事故との間に因果関係を認めることはできない。

(三)(1) 原告は、「原告は、本件事故前のみならず、本件事故後、現在に至るまでの間にも脳腫瘍の診断を受けていないことに鑑みて、原告のてんかん症状が良性の脳腫瘍等が原因であり外傷性のてんかんではないとの鑑定嘱託の結果は信用できず、原告に本件事故後二四時間の意識障害が認められること、本件事故前には認められなかつたてんかんの症状を裏付ける脳波異常が、本件事故後に生じていることから見て、原告のてんかん症状と本件事故の間には因果関係が認められる。また、仮に原告のてんかん症状が本件事故によつて直接生じたものではないとしても、林鑑定人は、原告のてんかん症状の原因として、従前より原告に存した脳腫瘍等の疾病が、本件事故を起因として発生したと鑑定しているので、原告のてんかん症状と本件事故の間には因果関係が認められる。」と主張する。

(2) 確かに、証拠上は、本件事故前には認められなかつた脳波異常が、本件事故後に生じていること、原告が、本件事故前のみならず、本件事故後、現在に至るまでの間にも脳腫瘍の診断を受けていない事実は認められる。

しかしながら、林鑑定人は、本件事故後の意識障害の程度や事故直後のX線検査の結果などから、本件事故によつて原告が外傷性てんかんの原因となる脳損傷を生じたとは認められず、証拠上認められる原告の脳の器質的所見から見て、原告のてんかん症状の原因は不明であり、本件事故との間の因果関係が認めがたいと鑑定しているに過ぎないのであり、林鑑定の右結論及び理由には不合理な点は認められない。林鑑定人は、もとより原告が早期グルオーマ(神経膠腫)などの良性脳腫瘍に罹患していると断定し、それが原告のてんかん症状の原因となつていると鑑定しているものではなく、外傷性ではない場合の症状の原因として早期グルオーマなどの良性の脳腫瘍が原因となつている可能性があると推測しているに過ぎないのである。したがつて、原告が脳腫瘍の診断を受けていないことをもつて、林鑑定が信用できないと認められるものではなく、診察を担当していた慶応病院の医師も原告のてんかん症状が外傷性であることについて否定的であつたことに鑑みても、原告のてんかん症状が本件事故によつて生じたものであると認めることはできない。したがつて、この点についての原告の主張は採用できない。

(3) 次に、原告に意識障害が二四時間継続したとの主張については、前記認定のとおり、本件事故によつて原告に長時間の意識障害が生じたとは認められない、永子は、原告が本件事故後長時間うとうとし、昏睡状態にあつたと供述するが、右供述によつて認められる原告の本件事故直後の状況も、当時の原告の年齢を考えると、事故後の心身にわたる疲労や投薬の影響等で平常より長時間の睡眠を継続したものであることが十分に考えられ、原告を診断した医師が、明確に原告に意識障害が認められないと判断していることに鑑みても、永子の供述によつて、本件事故によつて原告に脳損傷につながるような重大な衝撃が加わつた結果、原告に長時間の意識障害が生じたとは認めることはできない。

よつて、この点についても前提を欠くので、原告の主張は採用できない。

(4) また従前より原告に存した脳腫瘍等の疾病が、本件事故を起因として発生したと鑑定しているので、原告のてんかん症状と本件事故の間には因果関係が認められるとの主張についても、確かに、鑑定嘱託の結果では、右主張に沿うかのような記載も認められるが、右は、外傷との因果関係が認められないにもかかわらず、本件事故後にてんかん症状が発症したことについて検討している中での記載に過ぎず、元より明確に原告の持病に本件事故による外傷が契機となつて発症したと鑑定しているものではない。しかも、原告は、本件事故の前に鉄棒に衝突し、頭部右前に打撲を受けて、頭部外傷の傷害を負つているところ、打撲を受けた右前額部には血腫が認められるなど、鉄棒に衝突したことによる外傷の程度は、本件事故によつて原告が負つた外傷よりも重度のものであつたことが認められる。したがつて、仮に、従前より原告に存した脳腫瘍等の疾病に外傷が契機となつて原告のてんかん症状が発症したとしても、発症の契機となつた外傷が本件事故ではなく、本件事故による受傷よりも重度の衝撃が加えられたと認められる鉄棒での受傷の際の頭部外傷である可能性も否定できないので、結局、本件事故と原告のてんかん症状との間に因果関係を認めることはできないので、結局、原告の主張は採用できない。

(四) 以上の次第で、原告のてんかん症状と本件事故との間に因果関係を認めることはできず、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  頸椎部の後遺障害について

甲八、九、一一、二三、ないし四三、四五、五〇、乙一ないし六、九、一〇、一二ないし三〇、鑑定嘱託の結果、原告本人及び原告法定代理人加藤永子各尋問の結果によれば、原告には、難治性の頭痛と精神的不安定状態が認められること、原告には環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害が認められ、鑑定時においても最大頭位前屈時五ミリメートルのずれを生じていること、難治性の頭痛と精神的不安定状態は、環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害に伴う典型的な症状であることが認められる。これらの事実によれば、原告には、難治性の頭痛と精神的不安定状態という症状が残存していると認められるところ、鑑定嘱託の結果及び本件時の原告の年齢に鑑みても、原告の環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害は外傷性のものであると認められるが、前掲各証拠によれば、環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害に伴う典型的な症状である難治性の頭痛と精神的不安定状態の症状は、本件事故前には認められなかつたにもかかわらず、本件事故直後から生じていること、環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害は本件事故によつて原告が受けた程度の衝撃でも生じうることが認められるので、右の難治性の頭痛と精神的不安定状態という症状は本件事故によつて残存した後遺障害と認めるのが相当である。

そして右の後遺障害は最大頭位前屈時五ミリメートルのずれと環推と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害という器質的障害が原因と認められるので、医学的にその存在が説明でき、かつ、将来永続して残存すると認められるから、局部に神経症状を残すものとして後遺障害等級一四級一〇号に該当すると認めるのが相当である。

よつて、原告には本件事故によつて、環椎と軸椎突起間の頚横靱帯伸展障害に伴う難治性の頭痛と精神的不安定状態という後遺障害等級一四級一〇号に該当する後遺障害が残存したと認めるのが相当であり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  以上の次第で、原告には、本件事故によつて後遺障害等級一四級一〇号の後遺障害が残存したと認められる。なお、昭和六一年以降は、難治性の頭痛と精神的不安定状態の症状には変化が認められないこと、昭和六一年以降の治療は、もつぱらてんかん症状の治療を行つていたことに鑑みると、原告は、警察病院の治療終了日である昭和六〇年一二月一四日に症状が固定したと認めるのが相当である。

第四損害額の算定

一  原告の損害

1  治療関係費 四九万八二三六円

警察病院分三万〇九一五円(乙四)、丘整形分四三万三六三〇円(当事者間に争いがない。)、菊池外科病院分二万一七〇〇円(乙一)、慶応病院六六五一円(慶応病院の治療費中には原告のてんかん症状に関する治療費が含まれており、右治療費については本件事故と相当因果関係が認められない。本件事故と相当因果関係の認められる治療費は、甲一一によつて認められる症状固定までの昭和六〇年一二月分までの治療費合計二万二一七〇円中、自己負担分の六六五一円と認められる。)及び包帯代等五三四〇円(乙七の一ないし六)の合計四九万八二三六円

2  付添費 八万八〇〇〇円

(一) 入院付添費 六万八〇〇〇円

原告は、本件事故によつて一七日間入院して治療を受けたことが認められるところ(甲九)、原告の年齢を考えると右入院期間中付添看護が必要であつたと認められる。弁論の全趣旨によれば、右入院期間中に母親である加藤永子が付添をしたことが認められるところ、右の付添看護費は経験則上一日当たり四〇〇〇円と認めるのが相当であるから、入院付添費は六万八〇〇〇円と認められる。なお、原告は、昭和六〇年一〇月二四日は、職業付添人に付添看護を依頼し、一万〇六三〇円を支出したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はないので、右についても近親者の付添看護費を認めるのが相当である。

(二) 通院付添費 二万円

原告は、本件事故によつて一〇日間通院して治療を受けたことが認められるところ(甲一一、乙一、四、五)、原告の年齢を考えると通院についても付添が必要であつたと認められる。弁護の全趣旨によれば、右通院に際し両親である加藤誠及び同永子が付添をしたことが認められるところ、右の付添看護費は経験則上一日当たり二〇〇〇円と認めるのが相当であるから、通院付添費は二万円と認められる。

(三) 合計 八万八〇〇〇円

3  入院雑費 一万七〇〇〇円

右認定のとおり原告は、本件事故によつて一七日間入院して治療を受けたことが認められるところ、右入院期間中に雑費として、経験則上一日当たり一〇〇〇円を要したと認められるので、入院雑費は一万七〇〇〇円と認められる。

4  通院交通費 八〇〇〇円

前記のとおり、原告は本件事故によつて一〇日間通院して治療を受けたことが認められるところ、右通院に要した費用は弁論の全趣旨によれば一回当たり八〇〇円と認めるのが相当であるから、通院交通費は八〇〇〇円と認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

5  医師への謝礼等 二万八〇〇〇円

乙八の一ないし五により認める。

6  将来の治療費等 認められない。

原告のてんかん症状と本件事故との間には因果関係が認められないので、将来の治療費等は認められない。

7  逸失利益 一五〇万二六二四円

前記のとおり、原告は本件事故によつて後遺障害等級一四級一〇号の後遺障害が残存した結果、原告の労働能力喪失率は五パーセント喪失したと認められる。また、原告は症状固定時六歳の男児であつたので、原告は、一八歳から六七歳までの間、その主張のとおり昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表の男子労働者学歴計の平均賃金である年間四二二万八一〇〇円の五パーセントに相当する得べかりし利益を失つたと認められる。したがつて、原告の逸失利益は、右の四二二万八一〇〇円に、労働能力喪失率五パーセントと六七歳から六歳を引いた六一年間のライプニツツ係数一八・九八〇二から一八歳から六歳を引いた一二年間のライプニツツ係数八・八六三二を減じた一〇・一一七を乗じた額である金二一三万八七八四円(円未満切り捨て。)と認められる。

8  慰謝料 一九〇万円

原告が症状固定までに要した入院期間、原告の後遺障害の程度、その他、本件における諸事情を総合すると、本件における慰謝料は、傷害慰謝料が一〇〇万円、後遺障害慰謝料が九〇万円の合計一九〇万円と認めるのが相当である。

9  合計 四六五万〇〇二〇円

二  既払金 四九万六六三〇円

原告が四九万六六三〇円の弁済を受けた事実は当事者間に争いがない。被告は、右の外に三万五六二五円の弁済をした旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。甲一一及び四四によつて認められる三万五七七七円の支払は、海運健康保険組合からの求償に対する支払であるので、本件における弁済とは認められない。また、甲四四の被告戸田に対する保険金のてん補分も、被告戸田本人尋問の結果によつても、いかなる支払いに対するてん補であるかが明確ではないため、これをもつて原告への弁済の事実を認めることはできない。

三  損害残額 四一五万三三九〇円

四  弁護士費用 四五万円

本件訴訟の難易度、審理の経過、認容額、その他、本件において認められる諸般の事情に鑑みると、四五万円が本件事故と相当因果関係のある弁護士費用と認められる。

五  合計 四六〇万三三九〇円

第五結論

以上のとおり、原告の請求は、被告らに対して、各自、金四六〇万三三九〇円及びこれに対する本件事故日である昭和六〇年一〇月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がない。

(裁判官 堺充廣)

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